「新しい生活様式」に入ってまもなくの4月のある日。
何気なく書店に立ち寄って、何気なく手に取った本。これが面白かった。
「何気なく」なのだが、数多並ぶ本の中からをこれを手に取るということは、その本から何かを感じたのだろう。表紙デザイン、本の名前、帯などなどから….
実際に手にとってぱらぱらと試し読みすると「アラン・チューリング」というような言葉があったりで、この本から感じた何かが、確かにあるものであることがわかる。迷うことなくレジへ行き購入となった。
買った本は<<月の光 現代中国SFアンソロジー>>。中国のSF短編16編をあつめているというところが珍しい。
そのなかでも宝樹の<<金色昔日>>が一番よかった。
単にSFらしいアイディア/発想に頼るのではなく、物語に登場する人々が織りなす営み、人生といったものが感じられるのだ。
(当然のことながら)中国を舞台として時の流れに翻弄される人々が描かれるのだが、この物語に織り込まれる出来事、事件などは現代から過去へと逆行する。このアイディアが秀逸。
たとえば
北京オリンピックから幼い頃の記憶として始まり
ニューヨークのトレードセンターへの突入
四六天安門事件
文化大革命
朝鮮動乱
日中戦争
というように。
だから、おりおりに触れられる生活様式(?)が読み進むにつれて古びてゆく。
インターネット、E-mailが使えなくなって、手紙になったり、多彩、派手なゲームがシンプルになったりと。
こういった大きな構想のなかで、登場人物である幼馴染の男の子と女の子が成長し、その過程で天安門事件にかかわり、それをきっかけに大きなうねりに飲みこまれる。そして物語は悲哀をもって終わるが、そこがこれまでの、どこか奇想天外なアイディア、仕掛けばかりが目立つSF小説と大きく異なり、変な書き方なのだろうけど「純文学」としても成立するだろう。
最後のパラグラフがとても見事。
どんなことなのかを、ここに書いてしまうとネタバレになってしまうので、書かない。
国家安全法が施行された。
50年は1国2制度(1 country 2 systems)を変えないという約束を中国は臆面もなく破ったということになる。
もっともこの国が、約束をきちんと守るだろうか?と23年前の返還時の騒ぎを観ながら思ってはいたが、まさかその通りになるなんて。
インターネットというけれど、中国のそれは巨大なLAN(Local Area Network)に過ぎない。
街中に設置された監視カメラとそれらから得られた膨大な画像データを解析する画像認識技術やAI。