梔子について、もうすこし。
<<くちなし>>という高田三郎の作品がある。
詩は高野喜久雄。つまり高田三郎作品として極めて人気の高い合唱曲<<水のいのち>>と同じ作者。
この<<くちなし>>の「こがれ生きよ」というメッセージは、<<水のいのち>>の第3曲<<川>>
「川は山にこがれ きりたつ峰にこがれる いのち空の高みにこがれるいのち 山にこがれ
…
川の流れ おお 川は何か川は何かと問うことを止めよ わたしたちもまた同じ石を
同じ魚(うお)を みごもるもの川のこがれを こがれ生きるもの」
と重なる。
この作品<<水のいのち>>は、若い、それこそ修行中にスコアを眺め、ピアノ伴奏部分を弾いたり(そして頭の中では混声合唱団が歌っている)している。減七の和音の使い方には「なるほどね」と思ったりしたのだ。
(捉え方によっては)あまりにもストレートな表現で、どこか気恥ずかしさを感じたりもする。
その一方で若かったあの頃(何も怖くなかった頃?)の記憶が蘇り、時に赤面したり、涙腺が緩くなったり….
髙田三郎/混声合唱組曲「水のいのち」より「3. 川」(詩:高野喜久雄)
高野喜久雄 詩
荒れていた庭 片隅に
亡き父が植えたくちなし
年ごとに かおり高く
花はふえ
今年は十九の実がついた
くちなしの木に
くちなしの花が咲き
実がついた
ただ それだけのことなのに
ふるえる
ふるえるわたしのこころ
「ごらん くちなしの実を ごらん
熟しても 口を開かぬ くちなしの実だ」
とある日の 父のことば
父の祈り
くちなしの実よ
くちなしの実のように
待ちこがれつつ
ひたすらに こがれ生きよ
と父はいう
今も どこかで父はいう
歌曲集『ひとりの対話』より