音楽への"homage"を主題として、思いつくまま気侭に書き連ねています。ブログ名はアルノルト・シェーンベルクの歌曲から
交響曲第9番 ホ短調《新世界より》

交響曲第9番 ホ短調《新世界より》

1893年12月16日金曜日カーネギー・ホールで行われたニューヨーク・フィルハーモニック第274回定期演奏会

アントン・ザイドル指揮によって

メンデルスゾーン《真夏の夜の夢》より序曲、夜想曲、スケルツォ
ブラームス ヴァイオリン協奏曲 (独奏アンリ・マルトー)が演奏され、
休憩の後、交響曲第9番 ホ短調《新世界より》 が初演された。

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大成功を収めた。定期演奏会前日のリハーサル時の熱狂からもそのことは証明されるほどであったという。

新聞「ニューヨーク・ヘラルド」誌では「突出した美しさ」という見出しでアメリカの音楽の歴史においてもっとも重要な出来事の一つであり、ふだんはおとなしいニューヨークの聴衆が熱狂する拍手で作曲者を称えた、と初演の模様を報じている。

その成功は、ドヴォジャーク63年の生涯のなかでももっとも輝かしい出来事の一つでもあり、作品は永遠の命をもち、多くの人々を魅了し、そして愛されてゆくことになる。

その後、翌1894年06月にはイギリス(指揮者不明)、7月20日チェコの有名な温泉地カルロヴィヴァリでラヴィツキ指揮で、10月13日プラハでドヴォルジャーク自身の指揮で、さらに1896年ウィーンではハンス・リヒター指揮、1898年アムステルダムでメンゲルベルク指揮、1900年イタリアではトスカニーニ指揮によってというように世界各地に広まってゆく。日本ではちょうど100年前の1920年山田耕筰指揮で初演されている。和暦にすると、大正9年。それほど遠い昔のこととも思えなくなる。

ニューヨークの初演を報じたなかに”INSPIRED BY INDIAN MUSIC”つまりネイティブ・アメリカンの音楽にinspiration霊感をあたえられて、とある。ドヴォジャーク自身は後に否定しているのだが、ではまったく影響されなかったということはないだろう。アフリカ系やネイティブ・アメリカンの歌をアメリカ人による創作の源泉にするという提唱するぐらいだから…

とはいうものの、作品そのものは1993年1月10日から作曲が始まり、初演の半年も前の5月24日、ドヴォジャークが新大陸に足を踏み入れてから8か月後には完成している。音楽院が夏休みとなり、チェコから呼び寄せた子供たちと一緒にオハイオ州スピルヴィルを訪れ、そこに住むチェコから移住してきた人々と交わり「望郷の思いを紛らわせる前」であることは注目する必要がある。そして、ドヴォジャークは作曲の速度が早いタイプに属するが、慣れない異郷の地にいて、学生の指導や演奏会での指揮など、様々なことをこなしながら産み出されたことを考えると、この作品の完成度の高さは驚くべきものがある。奇跡的とすらいえそうだ。

さて、このドヴォジャーク、あるいはスメタナの音楽が「国民楽派」とカテゴライズされ、その音楽に(一種の)ノスタルジーを(それも異国人である日本人にさえ)感じさせるものとして、どこか表層だけを聴き取っているのではないか?と思えてならない。そもそも、その「ノスタルジー」は作品のどこに潜んでいるのか? さらに「ノスタルジー」の奥に聴きとるものはないのだろうか?

そんなことをここで書いてゆくことにしたい。ボチボチではあるが…

画像は僕が中学生の時に買った《アルルの女》に続く2冊目となる《新世界より》のスコア(300円)。とても古びている…

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