豊かな自然、清潔な、そして福祉が行き届いた社会システムを持っている、といったイメージが北欧とよばれる国々に持たれている。ノルウェーだけみても、イプセン、ムンク、そしてグリーグといった名前が浮かび、国のイメージと重なるだろう。
今から80年ほどまえ、ノルウェーで実際にあった、そして記憶の奥底に沈め、いわばなかったことにしたいユダヤ人迫害の事実を、実在したプラウデ一家をモデルに克明に描き出した。
第二次世界大戦が勃発し、ノルウェーは1940年にナチス・ドイツの侵攻を受け、その支配下におかれる。ノルウェー在住のユダヤ人にはナチス・ドイツが進める「ニュルンベルク法」そして「ユダヤ人問題の最終的解決策」が適用されることになる。国内に収容所が作られ、普通の生活を営んでいるユダヤ人市民が強制的にここに集められ、さらにそこからポーランドにあるアウシュヴィッツへと移送される。その一連の作業は、占領されたとはいえノルウェー人(警察や市民)が加担した。ホロコーストはナチス・ドイツだけのことではない。当時ノルウェー人自身がユダヤ人への嫌悪感を持っていたことを映画の各所でのセリフにちりばめ、ノルウェー人も決して無縁ではないことを訴えている。
このタイプの映画にありがちなヴァイオレンスシーンは極めて少ない(ないわけではない)。ナチス・ドイツの侵攻前の、ユダヤ人ならではの家族愛にあふれた日常が、侵攻によって完全に崩されてしまう。住むところを、財産を、最後にはその命まで奪われる様が描かれるのだから、観ていて決してハッピーな気持ちになることはない。主人公の妻となる女優の可憐さがわずかながらの救いか。
こういうタイプ、つまりナチス・ドイツをとりあげた映画や書籍への関心が昔から高い。
ヒトとして「こういう極限に近いこと、にもかかわらず普通のヒトがそれをやってのけてしまう」といことを如実にしめしているからだ。信じられないような過酷な状況下にいてもなおヒトとしての尊厳ある振る舞いがあったことも。ヒトは状況しだいで天使にも悪魔にもなれる。
その一方で、その極限を提示することで判断停止状態に陥ってしまい易いことには最高の注意が必要だとも思う。ある意図を持った事実を捻じ曲げた、単なるプロパガンダということもあるだろうから。実際にそれらしき映画も公開されているし…
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映画の前に立ち寄った蕎麦屋